倫理学

自己犠牲と言う美意識

私達は、自己犠牲を払うことなくしては、いかなる進歩も成功も望めません。

私達の成功は、私達がその達成をどれだけ強く決意し、その計画の上にいかに強く心を固定するかに加えて、自分の欲望をどれだけ犠牲に出来るかにかかっています。

成功を手に出来ないでいる人たちは、自分の欲望をまったく犠牲にしていない人たちです。

人間は、もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなくてはなりません。

大きな成功を勝ち取るためには、その事に相当の力を注がなければなりません。

時間を作り、状況を整え、成功する為の手段と真摯に向き合わなくてはなりません。

当然の事として、それだけ他の事が出来なくなります。

そういう犠牲は覚悟しなければならないのでしょう。

また、身勝手な考えや気まぐれな感情に流されないように自制する事も大事でしょう。

「犠牲」という言葉を遣うと、辛いことに思えてきそうです。

しかし、自分が本当にやりたい事を「選ぶ」と考えればいいのではないでしょうか。

やりたい事がたくさんあっても、すべての事が出来るわけではありません。

私達の時間も力も限りがあります。

その中で出来るものを選ぶ必要があり、その為にやりたくてもやれない事があるのは当たり前でしょう。

やれない「犠牲」を思うよりも、やれる「幸せ」を感じた方がいいと思います。

成功は幸せの一種ですが、成功だけが幸せではありません。

幸せは他にもたくさんあります。

成功よりも他の幸せを選んでもいいのです。

達成可能な目標をもち、自分に合った目標のもち方・幸せの選び方をすることが大切だと思います。

また、成功には大きな成功もあれば小さな成功もあると思います。

中ぐらいの成功もあるでしょう。

すごく大きな成功を目指すのでなければ、他の幸せも同時に求める事が出来るでしょう。

すべてを犠牲にするような大きな成功は少ないと思います。

そういう大きな夢をもって生きられる人は、それだけでも幸せなのではないでしょうか。

どんなに大きな成功や夢を目指すとしても、日々の生活の中で感じられる小さな幸せはたくさんあるはずです。

そういう幸せを感じることが、心を癒し、さらには目標達成に向かう力にもなるのだと思います。

限られた人生の中で、自分の幸せを(可能な範囲で)選びながら、(自分の幸せを選ぶために、出来ない事があっても)「自分の生き方はこれでいい」と思えるように生きる事が出来たらいいのではないでしょうか。

そうすることで、自然と自己犠牲が生まれ、自己犠牲と感じない自己犠牲は幸せだと言えるのではないでしょうか。